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最高裁判所第三小法廷 昭和41年(行ツ)102号 判決

上告人 赤星利雄

被上告人 熊本東税務署長

訴訟代理人 山田二郎

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人坂本泰良、同坂本恭一の上告理由について。

一、論旨は、要するに、(一)本件不動産は昭和三三年一一月二七日に亡赤星セツより訴外株式会社鶴屋百貨店に売り渡され、即日所有権移転登記を経由したとはいえ、同年中に売主の入手しえたものは手附金一〇〇万円と割賦金五〇万円との計一五〇万円にすぎず、その額は全代金の一〇分の一にも満たない少額であるのに、売買代金全額が同年中において売主の「収入すべき金額」にあたるとしてされた本件更正処分は、著しく不合理であつて、租税正義に反し、旧所得税法一〇条一項の解釈適用を誤り、ひいて憲法三〇条に違反する課税処分というべく、これを認容した原判決は、この点において破棄を免れず、また、(二)そもそもセツの受領した当初の一〇〇万円は解約手附であり、それ自体として、ほんらい同年度における被課税所得となりえないものである(所有権の移転も、決して、契約成立即登記の日に確定的に移転したものではない。)のみならず、(三)本件課税はもともとセツの資産譲渡に対するものであるから、税金はセツに生じた所得から支払われるべきものであり、上告人および訴外赤星繁の固有財産たる遺留分相当額から支払われるべきものではないにもかかわらず、原判決が、一見して遺留分相当額たることの明らかな六六一万〇二二〇円の受領をもつて、特約に基づく税金相当額の支払があつたものとしたのは誤りであつて、原判決はこれらの点においても違法として破棄を免れない旨を主張する。

二、本件不動産の売買および課税の経過として、原判決の確定するところは、次のとおりである。

1  本件不動産は、もと訴外赤星典太(セツの夫で上告人の養父)の所有であつて、同人死亡の際セツに遺贈されたものであるが、典太には相続人として、他に上告人およびその妻繁の両名(以下、上告人らという。)があり、セツに対する遺贈は、上告人らの遺留分を害することとなつた。

2、セツは、上告人らの同意のもとに、昭和三三年一一月二七日、本件不動産を訴外会社に代金三〇五五万二〇〇〇円で売り渡し、即日所有権移転登記を経由したが、代金支払方法は、右同日手附金として一〇〇万円、残金は同年一一月以降毎月五〇万円ずつ支払う約であつた。

3、セツは、右契約・登記の日の翌日死亡したので、上告人は翌三四年三月、セツの相続人の代表者として、セツの昭和三三年中の総収入金額を右売買代金三〇五五万二〇〇〇円、譲渡所得金額を一三四七万九八四一円、所得税額を六〇六万六八九〇円とする確定申告をしたが、セツにおいて同年中に取得すべきであつた金額は前記の一五〇万円にすぎなかつたので、上告人は、同三四年四月その旨の確定申告の更正請求書を被上告人に提出したが、却下され、かえつて、同年五月被上告人から税額を六〇七万一八九〇円とする更正処分を受けた。そこで、上告人は熊本国税局長に審査の請求をしたが、同年九月棄却された。

4、しかるに、その後、本件不動産は遺留分減殺請求権行使の結果、セツおよび上告人らの三名の共有となつたものであることが判明し、これによると、本件不動産の売買代金中上告人らの遺留分に相当する六六一万〇二二〇円を控除した二三九四万一七八〇円がセツの取得分となるので、熊本国税局長は、昭和三五年二月これを本件不動産の譲渡によるセツの総収入金額として、譲渡所得金額を一〇八二万七九三〇円、所得税額を四六三万八〇九〇円と減額する審査決定変更処分をした。

三、以上の原審確定事実に基づき、本件課税処分(税額四六三万八〇九〇円)の適否について、以下に検討することとする。

1、本件課税処分は、本件不動産上のセツの持分の譲渡による所得を対象とするものであるが、一般に、譲渡所得に対する課税は、資産の値上りによりその資産の所有者に帰属する増加益を所得として、その資産が所有者の支配を離れて他に移転するのを機会に、これを清算して課税する趣旨のものと解すべきであることは、当裁判所の判例とするところである(昭和四一年(行ツ)第八号昭和四三年一〇月三一日第一小法廷判決・裁判集民事九二号七九七頁)。したがつて、譲渡所得の発生には、必ずしも当該譲渡が有償であることを要せず、昭和四〇年法律第三三号による改正前の旧所得税法(昭和二二年法律第二七号)においては、資産の譲渡が有償であるときは同法九条一項八号、無償であるときは同法五条の二が適用されることとなるのであるが、前述のように、年々に蓄積された当該資産の増加益が所有者の支配を離れる機会に一挙に実現したものとみる建前から、累進税率のもとにおける租税負担が大となるので、法は、その軽減を図る目的で、同法九条一項八号の規定により計算した金額の合計金額から一五万円を控除した金額の一〇分の五に相当する金額をもつて課税標準とした(同条一項)のである。

以上のような譲渡所得に対する課税制度の本旨に照らして考察すると、所論のように、代金の支払方法が長期にわたる割賦弁済によるときは特定の年度に集中して課税することなく、割賦金の支払またはその弁済期毎にその都度資産の譲渡があるとみて、当該弁済期等の属する年度毎に個別的に課税すべきであるとする見解は、とうてい採用し難いのである。もつとも、割賦払いの期間が長期にわたるときは、売主は、初年度において現実に入手した代金額が過少であるにもかかわらず、より多額の納税を一時的に必要とすることになるわけで、これはもとより好ましいことではないが、前述のように、年々に蓄積された増加益が一挙に実現したものとみる制度の建前からして、やむをえないところといわなければならない。

2、ところで、現行の所得税法(昭和四〇年法律第三三号)に「おいては、たな卸資産の割賦販売または延払条件付販売にかかる収入金額等の帰属の時期につき、一定の要件のもとに特例を認める規定(六五条、六六条)が置かれているが、これはもとより、たな卸資産に関する特例であるのみならず、前述のように、譲渡所得が割賦払いないしその弁済期毎に発生するとみることは制度の本旨に反するものであつて、資産の譲渡につきかかる規定の類推適用を認めることはできず、増加益が一挙に実現したとみることによる納税の困難は、徴税当局との関係において、事実上の徴収の猶予等、納付方法の緩和によるほかないというに帰着する(所得税法一三二条参照)。

しかしながら、以上のごとき譲渡所得課税の法制に照らし、代金の支払が長期の割賦払いによるときは売主において、少なくとも税金相当分にかぎり別途支払を受けることを必要とするところがら、その旨の特約が結ばれるのがむしろ通常と推測されるのであつて、原判決の確定するところによれば、本件においてもその例に洩れず、税金相当分は、前記月賦弁済の約定にかかわらず、売主側の求めにより売買代金のうちから随時支払うことが約定され、かつ、買主たる訴外会社は、納税のため必要であるからとの上告人の求めに応じ、昭和三四年三月一日、本件売買代金の内払いとして、六六一万〇二二〇円を上告人に支払つたというのであるから、本件において、売主側に納税困難な事情があつたということはできないのである。もつとも、右金員は、数額上、上告人らの固有財産たる遺留分相当額に一致するけれども、本件売買は、上告人らの同意のもとに、その持分をも含めて本件不動産の全部が訴外会社に売却されたものであつて、妻繁とともに遺留分減殺請求権を行使した上告人は、同時に、セツの相続人の代表者として、被相続人セツに関する申告をし、かつ、その後引き続き本件課税処分を争う者であるから、本件において、右六六一万〇二二〇円が亡セツの所得分に属するか、あるいは上告人らの遺留分相当分に属するかを峻別して論ずることは、むしろ事案の実際に適しないものというべく、この点に関する原判決の判示にも所論の違法は認められない。

3、上告人は、当初セツの受領した一〇〇万円はそもそも解約手附にほかならず、代金完済に至るまでは所有権の移転も実は未確定であると主張するが、右一〇〇万円が解約手附であるとの点は、原判決の確定しない事実に立脚するもので、所論はその前提を欠く。また、本件は、契約当日、右手附金の支払とともに買主たる訴外会社に対する所有権移転登記が経由されたものであつて、本件不動産の所有権は同日訴外会社に確定的に移転し、旧所得税法九条一項八号にいう資産の譲渡が行なわれたことが明らかであり、本件売買代金全額より上告人らの遺留分相当額を控除した二三九四万一七八〇円が、右同日の属する昭和三三年度においてセツの「収入すべき金額」に該当するというに帰着する。

四、以上によると、本件課税処分およびこれを認容した原判決には所論の旧所得税法一〇条一項の解釈適用に関する誤りはなく、所論のうち違憲をいう部分は、その実質において原判決に右の違法があると主張するものにすぎず、その失当であることは右のとおりであつて、論旨はすべて採用するに由ないものというほかはない。

よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法三九六条、三八四条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

裁判官宮本正雄、同飯村義美は、退官につき評議に関与しない。

(裁判官 田中二郎 下村三郎 関根小郷)

(昭和四一年(行ツ)第一〇二号 上告人 赤星利雄)

上告代理人坂本泰良、同坂本恭一の上告理由

一、原審は「譲渡の対価を取得しうる権利の取得は確定的でなければ、譲渡所得があるものとして課税するに適しない」と判示する。

課税に適するか否かは、単に課税権者の立場のみを観察すべきでない。租税法律主義の目的が、課税権の領域で国民の財産権を護ることにあるとする民主主義においては納税者の立場をも観察すべきであることは当然である。課税権は所得を明確に計上、把握して課税することを得、納税者も納税し得る課税適状にあつてこそ課税に適すると言い得る。権利が確定すれば所得も確実なものとなるから、その所得の一部をもつて納税し得るのである。真実所得がないにもかかわらずこれをあるものと擬制するのであれば、納税し得ない。擬制するならばそれが所得と同様の経済的価値があるものでなければならない。所得がないにもかかわらず所得ありと擬制し、税を正当に反映するだけの価値のない所得を、ありと擬制するのは不合理であつて、課税するに適する所以ではない。

所得税法第一〇条第一項「収入すべき金額」が収入すべき権利の確定した金額であることは一般に認めらるるところであるが、権利確定の時期がいつであるかということについては法も規定するところなく、必ずしも明確な基準があるとは言えない。原審もただ事案に即して具体的に判定すべきであるというのみで、これまたなんら基準を示すところはない。権利確定の時をいつにするかは税法の特殊性を考察して合理的に定むべきである。

通常の売買の場合においては原則として契約が効力を生じ、物件が引渡されると同時に、あるいはその年度内に代金も支払われるのが社会慣行であるので、契約の効力発生、所有権移転の時を権利確定の時とするのは課税適状として適切である。

所謂権利確定主義の原則は通常これをいうのである。契約効力発生、所有権移転の時を権利確定の時とする場合にこの原則は妥当する。

しかし経済上の取引は多種多様の形式があり、単純な一つの基準で足るはずはない。国税庁長官通達一九八は事業所得については、原則として収入すべき金額の基礎となつた契約の効力発生の時が権利確定の時であるとしている。しかし例外として請負契約および委任契約による報酬については現実に収入があるべき時とし、また割賦販売の場合の取扱いが各弁済期を基準とするが如き、また法人の資産譲渡は一定の条件の場合各代金の支払履行期を基準としている。更に最高裁判所の判決(昭和四〇・九・二、民事事件)では「権利確定の時を所有権などの移転の時」としているのはその事件については妥当であつても別の事件の判決(昭和三九(あ)二六一四号、所得税法違反被告事件、同四〇・九・八判決)では権利を行使するようになつた時とするが如き例もある。このことは取引の性質に応じて権利の確定の時を考察せねばならないことを示すものである。

本件契約は効力を生じ、所有権移転登記がなされているものの、その年は手附金一〇〇万円と五〇万円が現実に収入すべき金額となつている。これは全代金の一〇分の一にもあたらない少額であり、大部分の代金は翌年以後数ケ年にわたりて履行期が到来し分割して支払わるるという一般の社会慣行とは著しく異なつたもので、法も予想しない取引である。これに対して一般の社会慣行にこそ妥当する権利確定主義をそのまま適用するのはその対象となる取引きの性質の相違を無視するもので、明らかに不合理である。その結果左の如き不合理なこととなる。

(一) 三三年度の収入は手付金一〇〇万円と五〇万円であるのに、同年度の所得税は四六三万八〇九〇円となる。所得税はその年の所得より現金で納税すべきであるのにかかわらず、所得現金より遥かに多額の税金を収めねばならぬこととなる。

(二) 大部分の代金は翌年以降数ケ年にわたつて分割履行されるのが事実である。しかるにこれをも三三ケ年の一年間の所得とするのは真実所得ないにもかかわらず、所得ありと擬制し、真実所得のある数ケ年は所得がないと擬制するもので、甚しく事実と相違する。

本件の場合はその取引契約が一般の社会慣行と著しく相違したものであることに着目し、権利確定が履行年度の時であること、租税力に応じて納税せしめ得ることを考察し、各弁済履行毎に権利確定するものとするこそ、租税正義に適合する所以である。

なお、前記最高裁判所は「昭和三九(あ)二六一四号所得税法違反被告事件)において、解約手付は両当事者が契約の解約権を留保すると共に、これを行使した場合の損害賠償となるものとして、あらかじめ授受するに過ぎないものであつて、それを受取つたからといつて、それを受取るべき権利が確定しているわけではないから、そのままでは前記収入すべき権利の確定した金額には当らないものと解するのが相当である」と判示されている。これをもつてすれば、セツが解約手付を受取つたことを収入すべき金額とするのは最高裁の判決に反する。

以上の如く不合理なこととなり、特に税法の最高原則である正義公平の原則に反することとなるのは、通常の社会慣行にこそ妥当する所謂権利確定主義を一般の社会慣行とは著しく取引の形態を異にする本件の取引に画一的に適用する結果に外ならない。その失当なることはいうまでもない。その結果所得ありとして課税するに適するために、権利の確定を必要とする判示の理由とは、全く反対の事態となり課税するに適しないこととなる。

一、契約成立所有権移転当記の時、セツが受領したのは所謂解約手続一〇〇万であり、全代金の履行の完了は四年後である。その間一回たりとも代金の履行がない場合は、当然契約を解除することが出来る。昭和三三年一一月二七日所有権が移転したというもののそれはあくまで未確定である。真実に完全に所有権が移転するのは最終の履行完了の年である。この点からするも、昭和三三年一一月二七日に所有権が移転し、権利が確定したとなす判旨は失当である。

熊本国税局長が譲渡物件に六六一万〇二二〇円相当の遺留分が含まれていることが判明したので、税額を四六三万八〇九〇円に減額更正したことは原審も認めるところである。「現実に取得出来る金額以上の税金を支払わねばならぬ不合理という」一審の判示、上告人の主張に対し、原審は不合理でないと判示する。その理由は「セツと鶴屋の間に月賦弁済の約束にかかわらず、税金の必要の場合は、売主の需めに応じ売買代金の中から税金相当額を支払う旨の特約があり、鶴屋はその需めに応じ、昭和三四年三月一日税金相当額を支払つたことを認め」そして一方にはその金額は遺留分相当額を受領した事実を認めている。「右税金額を鶴屋が支払つたとの認定は、たとえ遺留分相当額を受領したとしてもこれを防ぐることにはならない」というその文意は、何を意味するのか判然しない。本件課税はもともと被相続人セツの資産譲渡に対するものであり、セツの譲渡所得より税金は支払わるべきである。セツの資産とは別個の上告人並に赤星繁の本来の固有財産の遺留分より支払わるるべきでない。右領収金額がセツの税金を払うためセツに帰属すべき代金所得より支払われたのか、あるいはその中に含まれている遺留分相当額として本来上告人並に赤星繁の固有の財産であるのか、どちらかでなければならない。そのどちらかであるかを決定しなければ、現実に取得すべきものではない。金額は税金に充当すべきものでないものかは判明しない。両者の性質の相違を判然とせず、どちらかに決定すべきものであるのにかかわらず両方を認めることそれ自体が明白な矛盾である。

鶴屋より受領の金額は、六六一万〇二二〇円、税金は六〇七万八〇九〇円、遺留分相当額は六六一万〇二二〇円である。この数字を比較すれば、鶴屋より受領の金額が、遺留分相当額であることは一見して明白である。「現実に取得した金額より税金を支払わねばならないという不合理はない」という判旨であるが、現実に取得した金額は、税金支払いに充当すべきものでない遺留分であるので、右の判示は全く見当違いである。

一、原審は第一審が指摘した租税の最高原則である租税正義公平の原則、担税力の問題という本件課税の適否を決する根本問題について何等触るるところなく、ただ単に現実に取得した金額より多額の税金を払わねばならぬとの一点のみを強調している。このことは一面を論じて、根本的な重要問題を看過しているものである。

憲法第三〇条規定の「租税」の概念には税法の最高原則たる正義公平の原則が存することは当然である。それが近代国家の租税の概念である。この憲法規定の「租税」の概念に反する本件課税は憲法違反である。このように看来れば、本件課税は租税の最高の原則に反し、これを認容した原判決はまさに破棄さるべきである。

以上

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